臨済宗大本山妙心寺 大雄院 だいおういん

京都府京都市右京区花園妙心寺町52

Tel :075-463-6538

Fax:075-463-6551

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大雄院

大雄院(だいおういん)は、大本山妙心寺山内の北に位置し、慶長八年(1603年)石河紀伊守光元(竜野城主)の長子石河市正光忠(のちの尾張藩名古屋城代 太郎八当時9歳)により父光元公の菩提を弔うために菩提所として創建されたもので、慧南玄譲を開祖とする。慧南玄譲は光忠の叔父にあたり、石河氏の菩提寺美濃乙津寺、二世蘭叔玄秀の法孫であって、慧南は蘭叔玄秀を当院の歓請開山としています。

ときは、豊臣時代から徳川時代へと移る過渡期にあり、極めて激しく流動した時代でした。石河光忠の母、お亀の方は大変美しく人間としての器量も秀でた女性でした。夫・光元の没後、徳川家康に見初められ後妻となり家康の子を産みました。

徳川家康公の実子と異父兄弟となった石河光忠は徳川家に大変よく仕え関ヶ原の戦いでは敵方であったにも関わらず、徳川の時代でも栄える大名家となったという興味深い経緯がございます。

​現在の大雄院建築は、お亀の方が徳川家康より賜った伏見の屋敷を移築したものです。

京都府指定・登録文化財として客殿、書院、庫裏、表門があり、客殿と書院は享保十一年(1726年)に再建され、庫裏は江戸時代末期に改造されて以来の貴重なものです。なお表門にいたっては、当院創建時のものでそのまま400余年を経た姿を残しています。

客殿(本堂)の襖絵は、江戸末期から明治初期にかけて活躍した、蒔絵師であり画家の柴田是真作となっており、稚松図・山水図・滝猿図・唐人物図など若かりし時代の是真による多くの肉筆画をみることができます。

 

柴田是真筆 大雄院本堂障壁七十二面

柴田是真 しばたぜしん

江戸時代末から明治中期にかけて活動した漆工家、絵師日本画家。

知る人ぞ知る天才と評され、漆芸においては超絶技巧と卓越したセンスで多くの優れた作品を生み出した。その技のいくつかは、現代日本随一の名工の技術を持っても再現不可である。

現代でも人気を博す浮世絵師歌川国芳が、是真の扇絵に感動して弟子入りし、国芳に「仙真」の号を与えたという逸話が残る。

 

大雄院における本堂障壁図七十二面は天保元年(1830年)是真が24歳の時四条派をより深く学ぶため京都へ遊学し、修業の終わりに当院にて筆をとった。

是真はその後、江戸へ戻り活躍したが、江戸大火で多くの作品が焼失し、また軽妙洒脱でエスプリに満ちた粋な作風が欧米人に好まれ、現存する作品の多くが海外にある。

そのため国内に残る是真作品は貴重であり、若かりし是真(正確には、是真の名を名乗るより前「令哉(れいさい)」の号を使用※1)による肉筆の大作である大雄院障壁図は、柴田是真を知る上で重要な作品のひとつである。

 

※1稚松図の間 西側壁右下部に「令哉」の署名落款あり

四季草花図の間 向日葵図
唐代人物図の間 郭子儀図

また、現在大雄院では、今はなき是真の残した花の丸図案を襖絵として復活させるべく『平成の大雄院襖絵プロジェクト』が発足し、進行しております。

明治宮殿天井画 花の丸図 下絵